祖父を亡くして寂しい話

こんにちは、まごです。
先日、祖父が他界してから4回目の誕生日を迎えたのだけど、自分にとって誕生日は非常に特別な日。
気持ちを落ち着けるためにも、いったんここで吐き出しておきたい。

こんな書き方をすると「誕生日大好き人間かよ貴様は一生ハッピーに暮らせ」と思われるかもしれないが、惜しい。
ちょっと違う。

私まごの誕生日は祖父と同じだ。ついでにいうと、祖父の還暦の誕生日に生まれた。
そして私は自他ともに認める超絶おじいちゃんっ子だ。

なのでこの記事は、大好きな祖父がいない誕生日を迎えて何とも言えない寂しさを感じている気持ちと祖父が大好きな気持ちをただ言うだけの叫ぶ内容だ。
良かったらお付き合いくださいませ。

目次

祖父との関係

先程書いた通り、私は祖父の還暦の日に生まれた。
そして産婦人科でHello, worldをして母と一緒に退院したあと、大学卒業までの22年間を祖父と一緒に過ごしてきた。

祖父は大の子供好きであったため、よく幼い私の面倒を見て一緒に遊んでくれた。
恐らく4歳頃だが、祖父に今自分が何を考えているか当てて欲しいとクイズを出し、正解は「おじいちゃんが大好きって考えてた」と告げた記憶がある。
間違いなくこの老人は自分の答えが気に入るはずだし、自分もこの老人が大好きだし、一緒に幸せな気分になってほしいと思って出題した。
幼いながら、惜しみない愛情を注いでくれる祖父が大好きだったのだ。
余談だが、記憶のないぐらい幼い頃は金魚のフンよろしく祖父の後ろを毎回ついて歩いていたらしい。
証拠写真が残っており、祖父の後ろをついて歩く人生で一番可愛かった3歳頃の小さな私と、そんな私を顔面崩壊して振り返っている祖父が写っている。

また、祖父と行動していると「お孫さんですか?」と聞かれることがよくあった。
そのたびに「ええそうです。私の還暦の誕生日に生まれたんですよ」と嬉しそうに祖父が答えているのが嬉しかったし、聞いた人も「還暦にお孫さんを?素晴らしいですね!」などと笑顔で返すものだから、いつしか「自分は祖父の還暦祝い」というように考えるようになっていた。

「祖父の還暦祝い」は、じいちゃんっ子の自分にしたら嬉しいアイデンティティだった。なぜなら、存在しているだけで目の前の大好きな老人を幸せにすることができるからだ。
祖父によって「自分は生きているだけで他人を幸せにする力がある」と強く深く感じさせてくれたこと、そして幼少から成人しても変わらずにずっと愛情を注いで可愛がってくれた優しい記憶に本当に生かされている。
祖父がくれた優しさが、大変そうな人を助ける原動力になっている時もあれば、人生でつまずいた時や辛い時の慰めになる日もある。

少し話がそれたが、そんな祖父の誕生日、つまり自分の誕生日は当然のことながら祖父が主役になる。
自分も祖父を祝う気持ちが大きいというのもあるが、周囲の親戚などの大人たちが祖父の誕生日祝いを目的に電話をしたり訪問することが多かったせいもある。

祖父がたくさんの人に祝われていて、誕生祝のごちそうを笑顔で食べて、「俺は幸せだ」と柔らかく呟く様子が何よりも嬉しかったし、年齢の割に元気な祖父を確認して安心する日でもあった。

祖父を失ってからの誕生日

年齢の割に元気だった祖父だが、やはり年には勝てなかった。
数年前に手術して腰に入れていた金具の周辺に菌が繁殖し、急な高熱を出してから即入院。
そのまま数ヶ月後、家に帰ることなく眠るように息を引き取った。

そして他界してから2ヶ月後、祖父のいない最初の誕生日がやってきた。

仏壇の前に手を合わせているのに、祖父が寝室からひょっこり顔を出して「お前帰ってきてたのか」と歓迎してくれそうな気がして遺影の前で少し泣いた。
今にも玄関から「しばれるしばれる」と言いながら、雪かきを終えて赤くなった鼻と耳をさすりながらのっそり現れるはずだと期待しつつ、そんな愚かな幻想を抱いた自分に腹が立った。

2回目に迎えた誕生日は、今までの習慣で祖父の誕生日プレゼントを探しにデパートに足を運んだ時、祖父が好みそうなセーターを買っても渡す相手がいないことに気が付いた。
代わりに祖父の大好物のモンブランを買って実家に向かい仏壇に供えたが、どうにも寂しくなって涙が出た。

3回目は自分の体調が悪すぎて誕生日どころではなかった。自分の状況に納得できなくて「元気になったら必ず」と思いながら悔し泣きをしてた。
こんな自分を見たら祖父ががっかりするだろうから、早く元気になって生き生き過ごさなくてはと決意した。

4回目の今年。祖父のいない誕生日に寂しさや大事なものが欠けている感じを抱きつつも、家族や友人からのお祝いに素直に喜び、母には数十年前に頑張って産んでくれてありがとうと電話した。
そしてやっぱり、深夜に一人でモンブランを食べて祖父を思い出してボロボロ泣いた。

祖父を亡くしてからの誕生日は泣いてばかりだ。
今も祖父を思い出すと泣いてしまうし、なんならこの記事は涙も鼻水も飛び出しながら書いてる。
けど、当初に比べると祖父の不在と寂しさをずっと受け入れられるようになってきた。

家族の前で無理して寂しくないフリをしたり、一人でいる時に寂しくてどうしようもなくて大泣きしてぼんやりすることはなくなった。
うまく言えないが、祖父を思うと涙が出るし寂しいことに変わりはないけど当初に比べると苦しさが違う。
気が付いたら祖父の死によるダメージと共生できるようになっていた。

辛い気持ちが和らいだ行動や考え方

時間が経過して祖父の死を受け入れられるようになったから出来たものもあるのですが、参考までに。

①寂しさをぶつける

寂しい気持ちを我慢しないこと。
人に気持ちを言えなかったら紙に気持ちを書きなぐったり、寂しさからくる苛立ちをぶつけて気持ちを無理に抑え込まないようにすると楽だったな。
八つ当たりは野菜を刻むとか、トイレ掃除とか。対象を人に向けないようにだけ注意。

②我慢しないで泣く

これは①と共通しますが「気持ちを我慢しないこと」が大事。
いつまでも泣いてたら故人が浮かばれないとか、泣いてしまう自分が弱いみたいで嫌だったから最初は我慢してたけど、ショックを常にポーカーフェイスで隠すストレスで精神的に辛かった…。
涙を流すとストレスが軽減する作用もあるので、思いっきり泣いてしまって自分の辛い気持ちを外に押し流した方がいいです。

③何かラッキーな事があると故人のプレゼントだと考える

故人のことを思うと寂しくて寂しくてどうしようもないとき、全部この考えで乗り切ってました。
仕事でいいことがあった、ちょうどいいタイミングでバスが来た、鳥の糞が落下したけど自分にあたらなかった、駄菓子のガムで当たりが出た…もう、なんでも「じいちゃんのお陰」。
じいちゃんって自分のこと好きすぎるなヤバいな~なんて考えながら毎日を過ごすと、だんだん気分が明るくなって気力が満ちてきたのでおススメ。

おわりに

大好きな人を亡くすのは辛いし苦しい。祖父は良き親友であり、料理の先生であり、父がいない自分にとっては父親代わりでもあった。
亡くなった直後は打ちのめされた気分だったけど、今は家族と祖父を寂しく思う気持ちを共有しながら思い出話が出来るようになったのね。
「じいちゃんって、こういう困った面があったよね」とか「こんな面白い失敗してたね」「今でも寂しいね」とか。
皆それぞれ祖父にたくさん可愛がってくれた思い出があるから、こうして良い時間を過ごせてるんだよね。
じいちゃん、ありがとなーーーーーーー!!

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